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テンピ(、発音:、ピマ語ではオイドバド)は、アメリカ合衆国アリゾナ州マリコパ郡東部の都市であり、2010年国勢調査での人口は161,719人である〔。ギリシャのテンピの谷に因んで名付けられており、フェニックス都市圏のイーストバレーに位置する。周辺は西がフェニックスとグアダルーペ、北がスコッツデール、南がチャンドラー、東はメサの各市・町に接している。テンピにはアメリカ・エアウェイズ・グループの本社があり、またアリゾナ州立大学の最古かつ最大のキャンパスがある。 == 歴史 == ホホカム族インディアンがこの地域に最初に住み、その農業を支えるために運河を建設した。彼等は1400年代にその開拓地を放棄し、幾らかの個人や家族が近くに残った。 1865年にソルト川上流にマクダウェル砦が建設されそれより下流に新しい町の建設が可能になった。砦に食料を供給するためにアメリカ陸軍の兵士やヒスパニックの労働者が雇われて穀物栽培や家畜の飼育を行い、1年足らず後には川のそばに小さな宿営地が造られて、ホホカム族インディアンが居なくなった後では最初の恒久的な地域社会になった(その後間もない1867年から1868年にフェニックスに開拓地ができた)。ヘイデン・ビュートの東西に、チャールズ・T・ヘイデンが運行する渡し場に因んだ「ヘイデンズ・フェリー」と、「サン・パブロ」の2つの開拓地ができた。この渡しは地域で重要な渡河手段となった。テンピ灌漑運河会社が間もなく設立され、ムラサキウマゴヤシ、小麦、大麦、オートムギおよび綿花の栽培のために水を供給した。 開拓者のダレル・デュッパが1879年に採用されたテンピの名前を提案された者とされており、高さ300フィート (90 m) のビュート(切り立った丘)に近いソルト川渓谷を、ギリシャのオリンポス山に近いテンピの谷に擬えたものだった。 1885年、第13アリゾナ準州議会が準州師範学校の建設地にテンピを選択し、これが後にアリゾナ師範学校、アリゾナ州教師カレッジ、アリゾナ州立カレッジと変わり、最後にアリゾナ州立大学となった。 1887年に建設されたマリコパ・アンド・フェニックス鉄道がテンピでソルト川を渡り、この町はこの国で成長する輸送システムの一部になった。テンピ土地改良会社が結成され、ブームとなった町の区画を販売した。テンピは周辺の農業地域に対し経済の中継点になった。1894年には市制が布かれた。 1911年にルーズベルト・ダムが完成し、大きくなっていた渓谷の農夫の需要に見合うだけの水を補償した。元大統領のセオドア・ルーズベルトはこのダムの落成式に向かう途中で、アリゾナ州中部の人々の業績を称賛し、この町は将来繁栄することになると予言した。その後1年も経たないうちに、アリゾナ州は合衆国48番目の州として昇格が認められ、ソルト川は発展を続けた。 20世紀と21世紀、テンピはフェニックスの郊外として拡大しただけでなく、教育の中心として、またそれ自体の商業の中心として発展した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「テンピ (アリゾナ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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